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黒人教会とゴスペル音楽

本稿は著者が所属している同志社大学大学院神学研究科の授業「キリスト教宣教の歴史1」で2016年5月31日に発表した原稿です。

授業発表レベルでオフィシャルな内容には至っていません。

後期 (秋)にこれに続く発表を行うことを前提にしています。

黒人教会とゴスペル音楽

はじめに

 日本において、映画「天使にラブソングを」、「天使にラブソングを2」が1993年、94年に続けて公開されたことをきっかけに、ゴスペルブームが起こってから20年以上が経った。今なお多くの日本人を魅了するゴスペルのルーツと発展の過程ををたどり、今後の日本における宣教の現場としてのゴスペル音楽の可能性を考察したい。その前段階として、本論ではアメリカにおけるゴスペル音楽の背景を探る。

Ⅰ. 黒人教会が誕生するまで

①植民地時代

 1619年8月に一艘のオランダ船でヴァージニアのジェームズタウン(1607年建設)に運ばれ「年季奉公人」⑴として働いた20人が、北米英領植民地における最初の黒人である。その後17世紀まで、タバコ栽培が発展し、奴隷貿易が本格化した。

1667年にヴァージニア植民地は、奴隷の身分は洗礼によって変更されないという法律を作り、北米にできた他の植民地もこれに倣った。

 奴隷に対する伝道を最初に行ったのは、英国国教会である。1701年に「外地における福音普及協会」(Society for the Propagation of the Gospel in Foreign Parts)が結成され、伝道活動が本格化した。しかし、プランターの関心がまず経済的利益であったこと、当時の黒人は英語ができないため「使徒信条」や「教理問答」を記憶し理解できなかったので、伝道活動はあまり成功しなかった。

②大覚醒(The Great Awakening)

 1730年から1760年にかけてニューイングランドを中心に起こった第一次大覚醒と呼ばれる信仰復興運動において、黒人の中に一定の回心者がでたが、その規模は小さかった。 1776年にイギリスから独立したアメリカは、その後西へフロンティアを拡大した。

辺境地における開拓者の中に宗教的希求が生じ、1830年から1860年にかけて第二次大覚醒が起こった。礼拝を行う場所と正規の牧師が不足している現状解決にのりだしたのが、バプテスト派とメソジスト派であった。前者は日常生活では皆と同じく開墾し、後者は馬に乗って訪問するというそれぞれ異なった方法で伝道した。彼らは森の中などで数日間にわたるキャンプミーティングというリバイバル形式の礼拝を行った。両教派ともに使徒信条や教理問答を暗記することではなく、個人の回心体験を重視し、人間は社会的地位にか変わらず救済を受ける資格があるという立場をとった。そのことは、白人だけではなく、

黒人奴隷と当時はまだ数少なかった自由黒人に対しても伝道する動機となった。

 牧師の説教は、主情的な語り口と単純な言葉で、悔い改めてイエスを唯一の救い主と受け入れるように説くものであった。このような説教は、ほとんど文字を読めず、またアフリカの口承伝承の遺産を受け継ぐ黒人にとって、キリスト教を身近なものにした。キャンプ・ミーティングでは、牧師の説教に対して、会衆は白人も黒人も歌、祈り、叫び、うめきで応答し、恍惚状態となった。このような応答形式もアフリカの伝統的宗教との類似性があり、黒人には親しみやすかった。その結果、黒人を含む多数の回心者を生み出した。

両教派は、神学的訓練を受けている者よりも、回心体験と弁舌の才能を持つ者を牧師として求めた。黒人奴隷であっても、その条件を満たす者は、説教することが許された。

この信仰復興運動において、黒人が積極的にキリスト教に関わることを可能にした。

 ③「見えざる教会」

「見えざる教会」と呼ばれる秘密の礼拝集会は、あるときは奴隷宿舎の一部屋で夜遅く開かれ、またあるときは特に神聖で呪術的性質を持つとみなされた一群の樹木に接する野外などで行われた。

 奴隷制という徹底した非人間化と家族崩壊の試みにさらされている黒人奴隷たちの中心的課題は、いかにして生き残り、かつ自分たちの人間性とコミュニティ意識を保つことができるかであった。

 彼らは、夜明けから日没までプランターが望むような従順な奴隷を演じ、日没になると「見えざる教会」に集まった。秘密の礼拝集会で互いに交わり、自己のキリスト教信仰を公然と告白し、日々の抑圧によって鬱積した感情を発散して慰め合い、そしてときに逃亡や反乱の計画を立てた。

 「見えざる教会」の本質的要素は、歌(霊歌)、祈り、説教であった。

④「見える教会」へ

 1862年、南北戦争中、アメリカ合衆国大統領であったエイブラハム・リンカーンによる奴隷解放宣言がなされた。

南北戦争で北軍が勝利し、1865年の憲法修正第13条により、奴隷制は正式に廃止された。

 南部では、奴隷制時代の「見えざる教会」は「見える教会」へと変化していった。

秘密の礼拝集会を行っていた黒人は、解放後は自分たちの教会を持ちたいと切望した。

「見える教会」、すなわち、黒人教会は、魂の救済に関わる場としてだけではなく、黒人の社会活動の全領域に関わる組織として機能することになった。

 黒人系キリスト教会主要三教派は、黒人バプテスト教会、黒人メソジスト教会、黒人ペンテコスタイル教会である。

2. 黒人教会の特徴

 ワイアット・T・ウォーカー牧師⑵による黒人教会の定義によると、黒人教会は「黒人教会らしさ」が必要である。またウォーカー牧師は黒人教会の礼拝を支えるを三大要素として、説教、祈り、音楽を挙げている。

①「黒人教会らしい」説教

 ウォーカーは黒人説教について以下のように説明する。

黒人説教は、文学的であるよりも聴覚的である。その聴覚的性格は音楽的資質をもまとっており、そこにはいろいろな速さと強調、さらには「音階」 になっていると思われるほどの明確な抑揚が見出される。

 力強い黒人説教に対し、会衆は神の臨在を感得し、「Yes」、「Amen」、「Hallelujah!」などの言葉を語り返す。説教の最中、説教者と会衆はこのような相互の語り返しが行われ、両者の間には一体感が生まれ、会衆は説教者から霊的な活力をもらうと同時に、説教者も会衆から霊的活力をもらうことができた。

 この「呼びかけと応答」(Call and Response)は、ゴスペル音楽の主要な形式の元である。

②「黒人教会らしい」祈り

 奴隷制時代の黒人奴隷は、苦しい日々の中でアフリカの神に「助けてください!」と願い祈り、そして祈りをこめて叫び、歌を歌い叫んだ。やがて彼らの祈りの対象となる神は変わり、イエス・キリストに祈り願うようになるが、その祈りや歌の質や内容は変わらない。彼らが置かれた状況が、彼らの祈りの独特性を生み出した。その独特性を支えてきたのは、差別的状況からの離脱、すなわち自由への渇望でり、またそれを強く祈ることができる誇りである。

③「黒人教会らしい」音楽

 かつて、アフリカの黒人にとって、日々の暮らしを歌とは互いに切り離せないものであった。アメリカに渡り、生活も信仰も内容は変わったが、常に歌う機会を求めることは変わることはなかった。

彼らの音楽の特徴は、黒人特有のシンコペーションを用いた独特のリズムと、即興性である。

3. ゴスペル音楽の誕生と確立

 最初の独立した黒人教会は、1816年に黒人牧師のリチャード・アレンが起こした、アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会である(3)。アレンが代表牧師として行った公的活動の一つは、信徒のための賛美歌集の出版であった。白人メソジスト賛美歌集ばかりではなく、他の賛美歌集からも採集し、黒人信徒に親しまれるであろう賛美歌や彼らが愛唱した賛美歌をできるだけ多く集めで、1818年に信徒全員が黒人の教会専用の初めての賛美歌集が完成した。それらの賛美歌を、黒人信徒たちは、黒人的韻律歌唱(4)で歌うようになった。

 一方、奴隷解放後、解放された黒人の多くを吸収したのはバプテスト派で、南部各地にバプテスト派の教会が設立された。そこでも、黒人的韻律歌唱法が積極的に取り上げられた。

 こうして、黒人教会における音楽の黒人化が広まっていった。黒人特有のリズムを強調した歌唱に加えて、オルガンやピアノの即興的な伴奏で黒人的歌唱がさらに強まり、即興的にに賛美する音楽的に全く新しい賛美歌が生まれた。

 この即興的賛美歌を創った代表的人物は、メソジスト派の牧師であるチャールズ A. ティンドレー(1859-1933)で、ゴスペルの創始者と言われれいる。彼の作った賛美歌のいくつかは、教派に関係なく黒人教会の賛美歌のスタンダードになっており、その代表作は『Stand by Me』である。この即興的賛美歌は、さらに新しい即興的要素が加えられるなどして歌い続けられており、教会外でもポップ化されて人気を博している⑸。

 前述の第二次大覚醒で盛んに行われたリバイバル集会や野外伝道集会では、それまでの伝統的な教会音楽の枠を超えた、賛美歌のより自由な歌唱スタイルが生まれ、そのスタイルは、それらの集会から派生し、19世紀末に大きく発展したホーリネス派信仰復興運動や、その後を受け継いだペンテコスタル運動に受け継がれた。 

20世紀の初め、南部の黒人が大挙して北部諸都市に押し寄せた頃、ピアニストとギタリストの歌手が組んだブルース・コンビが沢山登場した。その中に、ジョージア・トムとタンバ・レッドという2人組がいた。このジョージア・トムが後に「ゴスペルの父」と呼ばれたトーマス・A・ドーシー(1899-1993)である。巡回牧師であった父を持つ、トム(ドーシー)はプロテスタント信仰を力の源にしていたが、ブルース界でピアニスト、作曲家、編曲者として活躍していた。彼は、健康を害し、病を乗り越えた時にキリスト教信仰が優位に立っていたという。1921年には、「主の御国で歌い、働くものとなりたい」と、著作権を得た最初のゴスペル・ソング “If I don’t get there”を作曲した。しかしゴスペル・ソングを書いたりするだけでは、たいした収入にならないので、教会を去るのに数ヶ月もかからなかた。その後、バプテスト派の牧師になったドーシーは、ティンドレーがそのスタイルを創設した「ゴスペル」を、新しい黒人教会用の音楽として確立し発展させたといえる。

 1930年代以来、多くの黒人教会で人気を得てきた「ゴスペル」は、1940年代には教会の外でも受け入れられ、1950年代にはゴスペル・グループ全盛時代を迎えた。

「ゴスペル」はポップ・ミュージック、ロック・ミュージック、ハード・バップ⑹期のジャズなど音楽界全体に影響を与えた。またR&B(リズム & ブルース)と結びついて「ソウル・ミュージック」というジャンルを開拓した。

4. ゴスペルと今後の課題

 「Gospel」という語の本来の意味は、福音、または福音書である。

ドーシーがブルースの音楽的要素を教会音楽に持ち込んで、当時斬新なスタイルが生み出されたことで、それまでの伝統的な黒人宗教音楽と区別する必要性により、黒人教会音楽を表す言葉として「ゴスペル(音楽)」が用いられるようになった。

  アメリカ合衆国では1970年代以降、メガ・チャーチという1回の礼拝で2千人以上が出席する規模の教会が次々と出現し、それらの教会では、プレイズ アンド ワーシップと呼ばれる新しいタイプの賛美が積極的に取り入れられている。 今日では、もはや「ゴスペル」は、黒人ルーツの教会音楽スタイルを指す言葉だけではなくなっている。白人による新しいタイプの賛美は、C.C.M.(コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック)と呼ばれるようになり、黒人によるゴスペルと区別されている。

1983年にオーストラリアで設立されたペンテコステ派のヒル・ソング・チャーチは、音楽ミニストリーが急速に発展し「Hillsong」という語がすでに、ひとつの教会音楽ジャンルを表す言葉になりつつある。

 「ゴスペル」は広義では、上記の新しいタイプの賛美を含むこともあるが、一方で、アカペラの黒人宗教音楽を指す、小規模あるいはマスクワイヤーによる宗教音楽を指す等の明確ではないイメージを持つ人々もいる。

 新しいスタイルの音楽が生み出される進行度に、それらの音楽を指す「言葉」が追いついていない現状は整理されるべきだと筆者は考えている。

 今日、音楽はデジタル化され、配信の仕方も画期的に進歩している。

世界中に福音を伝えるツールとして、ゴスペル音楽が用いられる可能性は大きい。

あとがき

 今回の発表で、ゴスペル(音楽)が生まれた背景と、その発展をまとめました。

後期の発表では、日本のゴスペルブームに焦点を置き、日本における教会及び音楽の現場としてのゴスペルの可能性を考察する予定です。

ーーーーー

⑴渡航費を仲介業者を通し肩代わりしてもらい、その代わりに一定期間をプランターのもとで従事する人。過酷な労働環境課に置かれるが、通常7年以内には自由人になり、土地を得て自立することができた。

⑵ Wyatt Tee Walker

1929年生まれ。牧師、神学者、M・L・キング牧師の片腕としてアメリカ公民権運動を推進させた。

SCLC(南部キリスト教指導者会議)の実行幹事。

(3)”The Black Church of America” Hart M. Nelson, Raytha L. Yokley, Anne K. Nelson  Basic books, inc, publishers 1971 p19-20

(4)黒人特有のリズミカルな歌唱法

⑸1986年公開のアメリカ映画『Stand by Me』の同名の主題歌として人気があり、多くのアーティストにカバーされている。 

⑹1940年代にそれまでのスイング全盛期のジャズに変わり、個人の技巧重視の即興能力を競い合うような演奏スタイルのビ・バップが生まれる。50年代にそれに続くスタイルとして黒人バッパーを中心に黒人ジャズのアイデンティティを反映したジャズ。

<参考文献>

北村 崇郎『ニグロ・スピリチュアル ー黒人音楽のみなもと』

株式会社みすず書房 2000年

黒崎 真『アメリカ黒人とキリスト教 ー葛藤の歴史とスピリチャリティの諸相』

神田外語大学出版社 2015年

水田 寿一『ハーレム 黒人教会 ゴスペル』

(株)文芸社 1998年

曽根 暁彦『アメリカ教会史』

日本基督教団出版局 1974年初版、1991年第7版 

チェット・ヘイガン 椋田 直子訳『魂の歌 ゴスペル ー信仰と歌い生きた人々』

音楽の友社 1997年

ジェイムス・H・コーン梶原 寿訳『黒人霊歌とブルース ーアメリカ黒人の信仰と神学』

新教出版社 1983年

James H. Cone. For My People ーBlack Theology and the Black Church:

Orbis Books, Maryknoll, NY 10545, 1984.

Hart M. Nelsen, Raytha L. Yokley, Anne K. Nelson. The Black Church of America:

Basic Books,Inc., Publishers,1971.

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